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2021年10月06日

メルマガ811

《雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。》
(新約聖書/マタイによる福音書/7章 25節)

これはマタイ福音書の山上の説教の一番最後にあるたとえ話である。これまで弟子や集まった人たちに教えを述べてきたイエス様が、これを聞いて行う人は岩の土台に家を建てるような人だ、逆に聞くだけで行わない人は砂の上に家を建てるような人だという。聞くだけではなく行いなさいとそのように読むことができる。

さて、私たちはどうだろうか、みことばを行うことができているのだろうか。正直私には行うことができていると言い切る自信はない。聖書の言葉をきいて、「その通りだな。実践しよう。」と決意することもある。でも省みた時、みことばを行うことができていない自分に気づく。例えば、人に仕えようと、道に迷っている人を見つけたら案内したり、重いものを持っている人がいたら代わりに持ったりする。でもそれって、自分が良い人って思われたくて、自分で自分のことを良い人って思いたくてやっているような気がする。それは山上の説教の善行の教え(マタイ6:1-4)で教えられている善行ではないのだろう。他にも、敵を愛しなさい(マタイ5:44)と言われて、苦手な人のために祈ってみても心からの祈りにはなかなかなりえない。そう考えると、私はみことばを行うことはできていないのだと思う。今日のみことばを読むと、自分の家は砂の上に建っていて、いつか雨風に吹かれた時に倒れてしまうのではないかとヒヤヒヤする。そこでみことばを行おうと再び決意しても、結局同じことの繰り返しである。

でも、その繰り返しの中で気づくことがある。私の家の土台は思いの外、強固だということである。なんだかんだ今だに倒れていない。多くの不忠実や背きの中にあっても、私の信仰は深いところで守られているような気がする。どうしてだろう。みことばを行うことのできない私は本来、砂の上に家を建てる者なのかもしれない。しかし、きっとみこころのままに十字架の道を歩いたイエス様がそんな私を支えてくれているのだ。イエス様自身が私の岩の土台となってくれているのである。とても喜ばしいことである。教会に集う私たちはみな、それぞれにみことばを行って歩むものとは言えないことが多くあるかもしれない。でも、私たちを支えてくれている土台はイエス様なのだ。それは強固な岩の土台である。だから私たちは安心して、何度でもみことばを行おうと決意をしていくことができる。これからもイエス様が岩の土台として、私たちのことを支えてくれることに感謝し歩んでいきたい。




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Posted by JELC TNG-teens at 13:00 │メルマガ

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