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JELC TNG-teens

2021年06月16日 13:00

「たとえ明日、世界が滅ぶとも私は今日リンゴの木を植える」という言葉があります。マルティン・ルターのものとして有名ですが、本当にこの言葉をルターが言ったかどうかは分からないそうです。あるルター研究者によると、どれだけルターの書いた書物や残された記録を追っても見つけられないのだそうです。では、ルターが言っていないのならば、この言葉は意味の無いものでしょうか。そんなことはありません。この言葉は、私たちが明日をどのように待ち望むのか、その心構えを伝えているのだと思います。

リンゴの苗木が実を付けるようになるには3年かかるそうです。もし私たちが今日、大急ぎでリンゴの苗木を植えたとしても、明日世界が滅びるならばリンゴの果実を見ることはできません。しかしこの言葉はリンゴの苗木への希望を、収穫を受け取ることとは別の角度から見ています。まるで実りの収穫は自分の役割ではないかのように。

《私が植え、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神なのです。》(新約聖書/コリントの信徒への手紙一3章6-7節)

私たちはリンゴの実りや、伸びた枝葉を見て成長を実感します。しかし、聖書やルターの言葉が伝えるのは、たとえ成長を自分の目で見ようと見まいと、必ずや神様は成長させてくださるという100%の希望のうちに物事を見てゆくということです。言うなれば、地に伸びる根っこを見ているかのような、その成長を肉眼で確認することはできなくとも、成長させてくださる神さまの助けを確信し、全てを委ねているのです。

私たちは今、なかなか集まって成長を喜び合うことができないでいます。神様は必ずや一人ひとりを豊かに養い育ててくださいます。私のことも、あなたのことも。このことに希望と信頼を置き、歩んでゆきましょう。

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