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2022年04月20日 13:00

《その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。》
(新約聖書/マタイによる福音書10章12節)

「天の国は近づいた」と告げ知らせるために派遣された弟子たちは、家に入ったらまず挨拶をするようにと、イエス様から教えられました。パウロもまた、諸教会に手紙を送る時には恵みと平和を願う言葉を用いて、挨拶をしていました。これはキリストのみ名によって交わす平和の願いです。

「シャローム:平和があるように」という旧約以来の言葉は、イスラエルでは現在も日常の挨拶として用いられています。以前わたしがイスラエルに行った時には、もっとも交わした言葉でした。日本でも礼拝の中で「主の平和があるように」とお互いに挨拶を交わす時間をもつことがあります。このようにわたしたちが挨拶を交わすことは、互いが互いの恵みと平和を願うことです。そしてそのもとをたどるとイエス様が弟子たちに託した挨拶があるのです。ですからキリストのみ名によって挨拶が交わされるとき、そこには願いを超えた恵みがあるのだと思います。

私たちが日常的に交わしている挨拶の言葉は「平和があるように」ではありません。しかし私はこれもまた恵みの出来事であると思います。なぜなら挨拶することで「あなたをちゃんと見ています、あなたの存在をしっかりと受け止めていますよ」という思いを互いに交わしているからです。そう、イエス様が弟子たちを受け止め、恵みを与えたように私たちは挨拶によって「天の国は近づいた。あなたは尊い存在、神の子です。平和があるように。」という神様から受けている恵みを分かち合うことができると思うのです。

「だから、挨拶をしましょう」と偉そうに言えるほど、私自身も挨拶ができているかと問われると恥ずかしながらできていません。知らない人にはほとんど挨拶をできませんし、疲れていると億劫になります。急に挨拶をされるとびっくりして返せなかったりもします。しかしそれでも、挨拶を交わす内には先行して神様から受けている恵みがあるのだということを覚え、挨拶を交わすことを大切にしたいと思います。

「シャローム:平和があるように」

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