メルマガ853
《子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。》
(新約聖書/ルカによる福音書15章31節)
この言葉は、「放蕩(ほうとう)息子のたとえ」と呼ばれているたとえの中で、父が長男に語ったものです。父には二人の息子がおり、弟は父の財産をもらって遊びまわり、一文無しになって家に帰ってきます。ところが父は、暖かく弟を受け入れてパーティまで開きます。この父は、神を表しています。
いっぽう長男(兄)は、父のもとで長年働き、まじめに生きています。弟をうらやましく思いながらも、派手には遊んできませんでした。このたび弟が帰ってきて父が喜んでいると知り、兄はふてくされます。父は、私に対してはケチなのに、好き勝手をして帰ってきた弟には甘いと。
この兄に、弟が帰ってきたことを一緒に祝ってほしいと父は願います。そして「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる」とも言います。弟は、いったん父のもとを離れましたが、父と共にいる喜びに気づいて帰ってきました。ところが兄は、父と一緒にいるのは当たり前になっており、自分が苦労しているのに弟だけ甘やかされてズルい、という妬(ねた)みが強くなっていました。その兄に、生きて帰ってきたお前の弟のことを喜んでほしいと父はなだめます。
「神」と聞くと、ドッシリとした、ブレない存在をイメージします。しかしこの父(神)は、弟に対して甘く、兄からは責められる情けない父として、なんとか一緒に生きていこうと語り、行動します。神の愛は「たとえ情けなく見えても、何かと何かの間をとりなそうとして、困り果てながらも行動して語る愛」です。
神は、この愛を私たちに注いでいます。その愛には、あなた(子)が父(神)のように育ってほしいという願いがこめられています。神の子であるイエス様も、あなたが神と隣人と一緒に生きていくために、情けなく見える十字架で死にました。父なる神は、あなたに愛を注ぎ、あなたが神と隣人と共に生きる者に育ってほしいと願っています。
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